正座とともに、しびれて生きる

◆ エッセイ
◆ エッセイ

*正座のエッセイを書きました

正座というものは、どうしてああも静かに人を追い詰めるのだろう。
最初はいい。
背筋が伸び、心身ともに引き締められる。腹筋も強化できる。
畳の感触も心地よく、呼吸が整う。
日本人の美徳、ここにありである。
などと、ほんの数分前までは思っていた。

だが、やつは来る。

前触れもなく、しかし確実に。
じわっ、と。
足の感覚が、遠くなる。
自分の身体の一部であるはずなのに、まるで他人の所有物のように存在が曖昧になる。
まだ大丈夫、と言い聞かせるが、その「まだ」は驚くほど短い。

やがて、しびれは完成する。

ここまでくると、もはや動けない。いや、正確には「動いてはいけない」という本能が働く。

下手に足を崩せば、あの電気のような痛みが一斉に体中を駆け巡ることを、私は知っている。

周囲が平然としているのも、またつらい。なぜ皆あんな顔で座っていられるのか。

悟りを開いたのか、それとも足の神経を置いてきたのか。疑念すら浮かぶ。

そして、いよいよ立たなければならない瞬間が訪れる。
が、立てるとは限らない。

意を決して腰を上げると、足はもう自分のものではない。
力の入れ方を忘れ、裏切るようにぐにゃりと揺れる。

平然を装おうとすればするほど、「大丈夫な人」から「明らかに大丈夫じゃない人」へと進化する。

それでも、私は思うのだ。

正座は、嫌いではない。
あの静寂も、誇らしい姿勢も、そして何より、自分の限界をじわじわと思い出させてくる感じも含めて。

しびれは不快だ。できることなら避けたい。

けれど、あの時間があるからこそ、解放されたときの達成感、立ち上がれたときの感動がある。
血が巡る感覚に安堵し、生きていることに感謝する。
大げさかもしれない。
でも、それは私の、ささやかな勝利だ。
だから今日も私は、正座をする。
そしてまた、しびれるのだ。

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