だから門脇君は、ずっと私のそばにいる⑫

だから門脇君は、ずっと私のそばにいる
だから門脇君は、ずっと私のそばにいる

クリオネプロムナード

海洋交流館は道の駅になっていて、コンビニやフードコートが入り、観光客で賑わっていた。
そこからオホーツクタワーへ続く遊歩道は、500メートルほどの防波堤で「クリオネプロムナード」と呼ばれている。
石造りの円柱が並ぶ美しい道で、その先には海に突き出すようにタワーが建っている。
両側には、果てしないオホーツク海が広がっていた。

「一人で行くから、ここで待ってて」

私はそう言ったが、門脇くんは無言でついてきた。
無音のため息が漏れる。

「海に流したいものがあるから……ここで待ってて」

もう一度、懇願するように伝えた。

私は海のすぐ近くまで、クリオネプロムナードの階段を下りていく。
そして、防波堤から身を乗り出した瞬間――

門脇くんが、私のダウンコートをがしっと掴んだ。

「海に流したいものって何?」

「……おじいちゃん」

「え?」

意味が分からない、という顔で私を見下ろす。

「散骨するの」

カバンの中からビニール袋を取り出し、門脇くんの目の前に掲げた。

「……骨?」

私は静かに頷いた。

「え、明里のおじいちゃん、そのビニール袋に入ってんの?」

また頷く。

「だから、一人にして」

門脇くんは少し考えたあと、「わかった」と言い、階段を上っていった。

薄紅の空から、ちらちらと雪が舞い降りていた。
防波堤には私以外、誰もいない。
門脇くんは少し離れた場所で、静かに見守ってくれていた。

私はビニール袋を破り、おじいちゃんを海へ還した。
おじいちゃんの故郷の海へ。

雪はやんでいた。
遺灰は、僅かに吹く風に乗り、夕焼けの薄紫と夜の紺色が混ざる空へ舞い上がっていく。

「ごめんなさい……おじいちゃん、ごめんね……」

涙が溢れた。
お葬式のときは出なかったのに、今になって止まらない。

「北海道に、あんなに帰りたいって言ってたでしょ……何度も、帰りたいって……」

おじいちゃんは、自分のことが何もできなくて、手がかかって面倒だった。
でも、嫌いではなかった。

ずっと下を向いて歩くから、よだれが床にぽたぽた落ちて、そのたびに拭くのが嫌だった。
毎朝、水虫の足にワセリンを塗るのも嫌だった。

でも――

小さい頃は、北海道のおじいちゃんの家に行くのが楽しみだった。
夏の海は綺麗で、おじいちゃんの船に乗せてもらい、操舵室に入れてもらえるのが特別で嬉しかった。

だから嫌だけど、嫌いじゃなかった。

おじいちゃんの孫の中で、一番小さかったのは私だった。
きっと、とても可愛がってもらっていたのだと思う。

よく、おじいちゃんは私に船の玩具を買ってくれた。
船なんて別に好きじゃなかったし、欲しくもなかった。
でも――

もしもう一度、家族を選べると言われたら。

私はきっと、同じおじいちゃんを選ぶ。

どれくらい時間が経ったのだろう。
クリオネプロムナードに明かりが灯り、長い防波堤がゆっくりとライトアップされていく。

「……行こう」

しばらくして、門脇くんが静かに声をかけてくれた。

✨「おじいちゃんを、殺したの」
「おじいちゃんを、殺したの」

門脇くんは、何も言わなかった。

「私が、おじいちゃんを……殺したんだ」

その瞬間、門脇くんはそっと私を抱き寄せ、ゆっくり歩き出した。

「お前、やばいヤツじゃん」

その言い方があまりにも優しくて、私はハハッと笑いながら、彼の肩に寄りかかるように歩いた。


海洋交流館に戻ると、門脇くんは缶コーヒーを買ってきて、カイロ代わりに私へ渡してくれた。

あの日の記憶が、ゆっくりと蘇る。

『買い物に行くから、おじいちゃんを見ていて』

母の言葉に、私はいつものように「わかった」と返事をした。

おじいちゃんは介護ベッドに横たわり、半分目を開けたまま眠っていた。
口も開いたまま。

ネットでよく見る“生ける屍”という言葉。
まさにそれだと思った。

私は自分の部屋に戻り、勉強を始めた。

しばらくして――
ガタンッ!

大きな音がして、私は階段を駆け降りた。

「おじいちゃん、大丈夫?」

部屋に入ると、おじいちゃんがベッドの下に倒れていた。

でも、おじいちゃんは寝たきりだ。
一人で動けないし、寝返りもうてない。
ましてや自分でベッドから落ちるなんて、できるはずがない。

なのに、床に倒れている。

私は肩を揺さぶった。

動かない。
痙攣していた。

どうしていいのか分からなかった。

でも――
これで自宅介護から解放される。
おじいちゃんは入院できる。

私は、すごく冷静にそう思った。


母に電話した。
繋がらないから何度もかけた。

父にもかけた。

「今すぐ帰るから」

そう言って電話は切れた。

倒れた人は動かしてはいけない場合がある。
仰向けにしたら危険なこともある。
何分かしたら、また動き出すかもしれない。

おじいちゃんは動きが止まる病気だ。
だから私は、長い時間、おじいちゃんの横に座って様子を見続けた。

多分20分くらい。
でも体感では何時間もそこにいた気がした。

そして――
おじいちゃんは、私の目の前で静かに息を引き取った。


私が話し終えるまで、門脇くんは何も言わなかった。

「なんで、おじいちゃんを殺したと思ってるの?」

「私が早く救急車を呼べば、助かったかもしれない」

「誰かがそう言ったの? 明里のことを責めた?」

私は首を振った。

「ベッドの横で私がちゃんと見ていたら、死ななかったと思う」


ホテルへ向かうバスが来た。
二人とも、それ以上は何も話さなかった。
門脇くんは、ずっと私の肩を抱いていた。

バスに乗り、座席に腰を下ろすと、彼が静かに聞いた。

「ちゃんと、おじいちゃんとお別れできた?」

私は、うん、と頷いた。

家族も親戚も、私を責めない。
むしろ「ありがとう」と言ってくれる。

でも私は、褒められたいわけじゃない。
責められたいわけでも、叱られたいわけでもない。

ただ――
この気持ちを、誰かに聞いてほしかった。

門脇くんに話していると、心が少し軽くなっていくのを感じた。

おじいちゃんは毎日のように「紋別に帰りたい」と言っていた。
せめて遺骨だけでも、故郷の海へ還したかった。

「いっしょに来てくれて、ありがとう」

私はバスの中で、門脇くんにそう伝えた。

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