凍えるような外気の中
重い袋を抱えて戻ってきた
京都・岡崎の低層レジデンスの外廊下
紹興酒は
インポートマーケットでなんとか手に入った
こんな無茶な願いを叶えられたんだから
きっと褒めてくれる
そう思いたかった
達成感が
冷えた指先を少しだけ温めていた
オートロックを開け
静かな共用廊下を進み
リビングの扉に手をかけた瞬間
私の足は止まった
隙間から漏れてきたのは
聞き慣れた亮の友人たちの声
そして、話題は「私」だった
「それにしても詩織ちゃん
あんなに健気に尽くしてるのに、可哀そうにね」
半ばあきれたような笑い声
心臓が急に速くなる
「本当だよな 亮、お前
あの子と結婚する気なんてないんだろ?」
頭の奥に
鋭い痛みが走った
私はドアノブを握ったまま
亮の否定を待った
“そんなことない”
いつもの優しい声で
そう言ってほしかった
けれど聞こえてきたのは
鼻で笑うような乾いた声だった
「……結婚? するわけないじゃん」
世界が一瞬で色を失った
追い打ちをかけるように
商社で亮の同期の
浅倉 舞が亮の腕に絡みつく
華やかな世界が似合う
派手な女性だ
「便利なパシリとして置いてるだけだもんね
だって亮は、ずっと私と付き合ってるんだもん」
勝ち誇った笑い声
否定しない亮
袋の持ち手が
指に食い込み、痛いほど重く感じた
洗練された都会のエリート
キラキラした上流気取りの人たち
このレジデンスから見える東山の夜景は
ただ冷たく
そして血の気が引くほど下品だった
「あんなに甲斐甲斐しく働かされて
まるで無料の家政婦だな」
「いや、家政婦以上に便利だろ
金もかからないし
文句ひとつ言わずに酒まで買いに走るんだから」
笑い声が重なるたび
胸の奥が削られていく
「亮、お前も罪な男だよな
あの子、本気で来年には結婚できるって信じてるぜ」
「……信じさせておけばいいんだよ
その方が、飯も掃除も
勝手にクオリティ上がるしな」
亮の冷酷な声
「従順が美徳って、昭和かよ」
「亮があんな地味な子と結婚するわけないな」
「俺のキャリアに何のメリットもない」
吐き捨てるような言葉
嗚咽が漏れそうになり
私は口元を押さえてしゃがみ込んだ
「国立出てるって言うけど
頭が良くても貧乏くささが抜けないのよね」
浅倉 舞の甘ったるい声が
廊下にまで響く
「そうだな 詩織は
そこそこ顔はいいんだから
もっと努力すべきだよな」
「それを怠って女子力皆無って
ほんと笑える」
亮の満足げな笑い声が続く
私の中で
五年という歳月が
ガラガラと音を立てて崩れ落ちた
もう扉を開けて戻ることはできなかった
視界が涙で歪む
五年間積み上げてきたものは
彼らにとって
ただの「失笑の種」だった
感覚のなくなった手で
重い袋をドアの前に置いた
一刻も早く
この場所から消えたかった
振り返ることなく
私はレジデンスを出た
エレベーターを降り
夜の京都の街へ飛び出す
「亮……」
涙で街の灯りも
冬のイルミネーションも
すべてが滲んで見えない
「……あんなクズ、いらないわ」
なりふり構わず走り続けた
心臓が痛いのか
肺が苦しいのか
それすら分からないまま
冷たい夜風が肌を刺し
心ごと切り裂いていった



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