紋別
「クマ? 確かに有名だけど、熊……木彫りの熊お土産に買う人、初めて見た。」
「北海道の定番だろう?」
旅行するのに荷物になるよね?しかも置物だから、もらったら迷惑かもしれないし、まぁ、自分の部屋に飾ればいいのか?デカすぎるとは思うけど。
私は門脇くんの買った、鮭を咥えた熊のお土産を見つめ、いろいろ言いたかったけど胸の内に納めた。
そんなこんなで、長いバスの旅が始まる。
土曜日の早朝、乗客は少なくゆったりと座れたのはありがたかった。
「……何で、紋別?」
門脇くんが尋ねる。
「おじいちゃんが、もともと住んでた場所なの。子供の頃は何度か泊まりに来たことがある。 祖父はガリンコ号に乗って働いてたの。」
ガリンコ号北海道紋別市の紋別港で観光目的に運用されている砕氷船。 ガリガリと流氷を砕きながら進むため、「ガリンコ」という名前がついた。
「そうか、だから今回、ガリンコ号がツアーに入ってるわけだな。」
私は頷いた。 けれど、おじいちゃんの話はあまりしたくなかった。 だから、話題を変えて学校の話をすることにした。
「門脇くんは、ラグビーで大学に行くの?」
「いや、海上保安官になりたい。」
門脇くんは海上保安大学校を受ける予定らしい。 海猿だな、と思った。
「明里は?」
「私は、どこかの国公立大学に入れたらいいと思ってる。」
「あぁ、明里は頭いいからな。」
私は北海道大学を目指している。 難易度は高い。だから、たくさん勉強している。
お互いの進路は、話すと失敗したときに恥ずかしい。 だから、大学名は伏せておいた。
「門脇くんって、女子からはあまり喋らない人って思われてるけど、結構普通に話するよね。」
「そうだなあ……。話しかけられれば、普通に話はするけど、俺、怖がられるタイプだから。 自分から話しかけたりはしない。」
確かにそうかもしれない。 けれど、整った顔をしているし、強そうだから、マニア受けしそうだな、と私は感じた。
「話すと結構面白いこと言うし、ウィットに富んでるから私は陰でクールチョイスと呼んでたよ」
「俺のことを?」
私はうんと頷いた。
「少しくらいは意識されてたのかな」
「……ああ、そうでもないかな」
「なんだよ、それ」
門脇君に笑ってこつんと頭を小突かれた。
「あの時は、すごかったよね。ひったくり犯の動画が流れたとき。」
「そうだな。時の人となった。」
「そう考えると、海上保安官は向いてるかもしれないね。人助けが仕事だから。」
「はは、そうかもしれないな。」
高校二年生というのは、大人のようで大人でない中途半端な年齢だ。
興味のあるものや将来なりたい人物像を具体的に考えられなくても、決断を迫られる年齢だ。それでも門脇くんは、ちゃんと自分の将来を考えて向き合っている。
その姿はかっこいいなと思った。
「……ありがとう。一人で来るの少し不安だったけど、門脇くんが一緒だったから北海道の旅も怖くなかった。」
「いや、俺も無理やりついてきたし正直どうだろうって思ってた。 でも、北海道、意外と楽しい。 食いもん旨いし。カレーもラーメンも旨いし、朝からホテルで海鮮丼が食えたし。」
食べ物のことばかりだなと思ったが、確かにグルメは満喫した気がする。
札幌から紋別への直行便は、途中のパーキングエリアで休憩を挟みながら進んだ。そして昼過ぎ、バスは紋別へ到着した。
北海道北東部のオホーツク海沿岸には、冬になると流氷が着岸する。紋別の風物詩だ。はるか北のサハリン周辺で海水が凍り、海流や風に流されてオホーツク海沿岸へと運ばれる。
ガリンコ号は、真冬の北海道の寒さを体感しつつ、海上の流氷を直に見ることができる流氷観光船だ。日によっては流氷が見られないこともあるが、今日はガッツリ流氷が来ているらしい。
小さい頃、ガリンコ号に乗ったことはあったけど、いつも夏に乗船していた。 だから今回、流氷を見るのは初めてだった。
ドキドキ、ワクワクしながら門脇くんとガリンコ号に乗り込む。
バタガタバタガガガタガタ……!
エンジンなのか、スクリューなのか、音がすごい。
ドリルでガリガリと氷を砕いて進んでいく様子は、デッキで見ると迫力満点だ。
頑張ってデッキで見学していたが、顔面に当たる風と雪、船の揺れと氷を砕く音。 もはや責め苦を味わっているようだ。
「極寒じゃねーか!!」
門脇くんが、海に向かって叫ぶ。
「さぶっ、イタイ! 死ぬ! しぬ!」
私も負けじと大声をあげる。
それでも、白い氷原が徐々に近づいてくる風景は感動的だった。
船の先端が氷原に刺さると、ピキピキッと瞬時に筋が入り、氷が割れる。
氷をスクリューで巻き込み、船の重さで割る。 その砕氷能力はすごい迫力だった。
氷だらけの海に、白く煙った空、全てが真っ白な世界。なんとも壮大で美しく、神秘的な光景だった。
私たちは約1時間、自然の猛威を体感し下船した。
地上に降りると、まだ海上にいるような感覚で足がふわふわする。 転びそうになった私の腕を門脇くんが支えてくれた。
「なんか、すごかったね。」
「あぁ、結構迫力あったな。 ……いや、船内からも見られたし、わざわざデッキで流氷に立ち向かわなくても良かったよな。」
「確かに……。」
下船した海洋交流館でホットミルクを飲み、休憩する。温かい飲み物が五臓六腑に染み渡り、室内の暖かさに、しみじみと感謝する。
「まだ足の感覚が変だ。」
私は震える足を押さえた。
「俺、船が好きだから。経験できて良かった。」
門脇くんはなんやかんや言っても楽しめたようだ。将来、海上保安官を目指す彼にとって、この乗船は勉強になったのだろう。
「日が暮れるの早いな。アザラシランドとかが近くにあるみたいだけど、どうする?」
野生のアザラシを保護、飼育している日本唯一の施設があるらしい。
「私、海に行きたいんだけど……。」
「来てるだろ海に。」
私が出口に目を向ける。
「……え、外?」
ウンと私は頷いた。
海洋交流館は道の駅になっている。 コンビニやフードコートなどが入り、賑やかな雰囲気だ。そこからオホーツクタワーへ続く遊歩道は、500メートルほどの防波堤で「クリオネプロムナード」と呼ばれている。その道は石造りの円柱が並とても綺麗な道で、その先のタワーへと続いている。そしてクリオネプロムナードの両サイドは、果てしない海が広がっている。
「一人で行くから、ここで待ってて。」
私はそう言ったが、門脇くんはついてきた。私は無音のため息をつく。
「海に流したいものがあるから、ここで待ってて。」
もう一度、懇願するように彼に伝える。
私は海のすぐ近くまで、クリオネプロムナードの階段を下りていく。そして、防波堤から身を乗り出した。
門脇くんが、私のダウンコートをがしっと掴む。
「海に流したいものって何?」
「……おじいちゃん。」
「え?」
何を言っているのか分からず、門脇くんが怪訝そうに私を見下ろす。
「散骨するの。」
カバンの中から、ビニール袋を取り出す。 それを手に持ち、門脇くんの顔の前に掲げた。
「……骨?」
私は、静かに頷いた。
「え、明里のおじいちゃん、そのビニール袋に入ってんの?」
私は、また頷く。
「だから、一人にして。」
門脇くんは少し考えた後、「わかった」と言い、階段を上っていった。
薄紅の空から、ちらちらと雪が舞い降りる。
防波堤には、私以外、誰もいなかった。門脇くんは少し離れた場所から、静かに様子を見守ってくれていた。
私はビニール袋を破り、おじいちゃんを海へ還した。
おじいちゃんの故郷の海へ。
雪はやんでいた。 おじいちゃんの遺灰は、僅かに吹く風に乗り、夕焼けの薄紫と夜の紺色が混ざった冷たい空へ舞い上がる。
「ごめんなさい……おじいちゃん、ごめんね……。」
涙が溢れた。 お葬式のときは出なかったのに、今になって、どんどん溢れて止まらない。
「北海道に、あんなに帰りたいって言ってたでしょ……何度も、帰りたいって……。」
おじいちゃんは、自分のことは何もできないし、手がかかって面倒だった。
けれど嫌いではなかった。
ずっと下を向いていたから、歩くたびに床によだれをダラダラと落とした。毎回 それを拭くのにウンザリした。毎朝水虫の足にワセリンを塗るのも嫌だった。
小さい頃は、北海道のおじいちゃんの家に行くのが楽しみだった。
夏の海は綺麗だった。 おじいちゃんの船に乗せてもらい、操舵室に入れてもらえることが特別で嬉しかった。
だから嫌だけど、嫌いじゃなかった。
おじいちゃんの孫のうち、一番小さかったのは私だった。 きっと、とても可愛がってもらっていたと思う。
よく、おじいちゃんは私に船の玩具を買ってくれた。船なんか別に好きじゃない。ぜんぜん欲しくもなかったし、嬉しくもなかった。
けれど……
けれど、もしもう一度、家族を与えられると言われたら……
私はきっと同じおじいちゃんを選ぶだろう。
どれくらい時間が経ったのか、クリオネプロムナードに明かりが灯る。 長い防波堤が、ゆっくりとライトアップされていく。
「……行こうか。」
しばらくすると、門脇くんが私に声をかけてくれた。
「おじいちゃんを、殺したの。」
門脇くんは、何も言わなかった。
「私が、おじいちゃんを……殺したんだ。」
門脇くんは、そっと私を抱き寄せる。 そして、ゆっくりと歩き出した。
「お前、やばいヤツじゃん。」
私は、ハハッと笑いながら、門脇くんに寄りかかるようにクリオネプロムナードを歩いた。
バスの発着所がある海洋交流館へ戻ると、門脇くんは缶コーヒーを買ってきてカイロ代わりに私へ渡してくれた。
『買い物に行くから、おじいちゃんを見ていて。』
母の言葉に、私はいつものように『わかった』と返事をした。
おじいちゃんは介護ベッドに横たわり、半分目を開けたまま眠っている。 口も開いたままだ。
ネットでよく見る『生ける屍』という言葉、まさしくこれだなと私は思った。
私は自分の部屋へ戻り勉強を始める。
しばらくして、おじいちゃんの部屋からガタンッ!と大きな音がした。
ベッドから落ちたのかもしれないと思い、急いで階段を駆け降りておじいちゃんの部屋へ向かった。
私が一人のときに何かあったら、体を持ち上げるのは大変だし、正直、面倒だなと思った。
「おじいちゃん、大丈夫?」
部屋へ入ると、おじいちゃんがベッドの下に落ちていた。
転倒の危険性はあるから、動くときは必ず介助する。
けれど……おじいちゃんは寝たきりだった。
おじいちゃんは一人で動けないし、寝返りもうてない。ましてや自分でベッドから落ちるなんてできるはずがない。
なのに、今、おじいちゃんは床に倒れている。
私は、おじいちゃんの肩を揺さぶった。
「何度呼んでも動かなかったの……痙攣してた。どうしていいのか分からなかった。でも、これで、自宅介護から解放され、おじいちゃんは入院できると思ったの。すごく冷静に、そう思った。」
私は門脇くんに話し続けた。
母の携帯に電話したの、繋がらないから何度もかけた。
父にもかけた。
「今すぐ帰るから。」
そう言って父は電話を切った。
倒れた人は動かしてはいけない場合がある。仰向けにしたら危険なこともある。何分かしたら、また普通に動き出すかもしれない。
私はそう思った。おじいちゃんは、動きが止まる病気だから……。
私は長い時間おじいちゃんの横に座り、様子を見続けた。
多分、20分くらいだったと思う。 けれど体感的には、何時間もそうしていたように感じた。
そして……
おじいちゃんは、私の目の前で静かに息を引き取った。
私が話し終えるまで、門脇くんは何も言わなかった。
「なんで、おじいちゃんを殺したと思ってるの?」
「私が早く救急車を呼べば、助かったかもしれない。」
「誰かがそう言ったの? 明里のことを責めた?」
誰も責めていない。私は、首を振った。
「ベッドの横で私がちゃんとおじいちゃんを見ていたら、死ななかったと思う。」
今夜泊まるホテルへ向かうバスが来た。
二人とも、それ以外の話はしなかった。門脇くんは、ずっと私の肩を抱いていた。
バスに乗り、座席に腰を下ろすと門脇くんが聞いた。
「ちゃんと、おじいちゃんとお別れできた?」
私は、うん、と頷いた。
私がおじいちゃんの死を自分のせいだと言えば、家族も親戚も、きっと「そうではない」と言うだろう。 誰も私を責めない。
逆に 「今までお世話してくれて、ありがとうね。」 そう言われるに違いない。
お葬式では何度もそう言われた。
「よく最後まで見てくれたね。」
「明里ちゃん、ありがとう。」
私はおじいちゃんの介護を頑張ったと思うし、文句を言わずよく耐えたと思う。
でも……
私は褒められたいわけではない。かといって、責められたいわけでも、叱られたいわけでもない。
ただ……
この気持ちを、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
門脇くんに話していると、心が軽くなっていくように感じた。
おじいちゃんは紋別に帰りたいと毎日のように言っていた。
せめて遺骨を、紋別の海へ還したいと思った。
「いっしょに来てくれて、ありがとう。」
私はバスの中で門脇くんにそう伝えた。
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